ポケットの中のそら

届くといいな、

思うこと

今年も3月11日が過ぎ去ろうとしています。

いつも通りに朝起きて、仕事して、帰ってご飯を作って、友達とLINEして、今。

今日はSNSを開くたび、テレビを見るたび、あの日にまつわることを目にする。
見てしまうとどうしたって泣いてしまうから、それは悪いことでも何でもないけれど、やっぱり苦しくて仕方なくなるから、わたしはそれらとは少し距離を置いてみる。

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岩手生まれのわたし。
あの時わたしは大学1年生で岩手に住んでいた。
でもあの日は岩手にはいなくて、東北にもいなくて、そして日本にもいなかった。
大学の中にある団体の、あるプロジェクトに参加していて、フィリピンに行っていた。
フィリピンの子供たちに水を届けようというもので、ホームステイをしながら、現地の人たちと交流しつつ井戸掘りの活動をしていた。
予定の深さを掘ってもなかなか出ない井戸の水。
深く深く掘っていってやっと出た水。
よかったと一安心したのも束の間。
一緒に参加していたメンバーの携帯に入った情報。伝えられる「岩手で震度7地震だって」という言葉。

しんどなな

ホームステイしていたのは村で、テレビがない家も多かった。テレビのある家にみんなでお邪魔させてもらって見た、日本の、岩手の、沿岸の光景。
見たことのない光景。

つなみ

なんだこの映像は。
ショックというのでもない、涙も出てこない、悲しくもない。
感覚は、潔いほどに、"他人事"

震災から数日、帰国難民になりかけながらも
帰国したわたしは、一緒にフィリピンに行ったメンバーや他の友達が続々と被災地支援に入っていくのを、焦りながらも全然動けずに見ていた。

わたしがボランティアで被災地に入ったのは、震災から1ヶ月近く経ってからだった。
そこで初めて涙が出て、どうしようもない気持ちになって、苦しくて仕方なくなった。

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あの日から時々ふと思うことがあるんです。
あの日まで岩手をほとんど離れたことがなかったわたし。旅行だって修学旅行とか、家族と少し遠くまで出る程度だった。
海外なんて初めてで、あれ以降も行ったことはない。
なんであのタイミングだったんだろうって。
わたしが岩手にいなかったタイミングで起きたんだろうって。

そして、井戸の水という人の命を助ける水と、津波という人の命を奪う水。
同じ水の、全然違う力を、同時に目の当たりにするという体験。

偶然なのでしょう。というか、誰にもわからない。
でも、意味を探さずにはいられなくて。
これからも時々思い出して考えるのだろう。

自分の中でいまだにぐるぐるするものだから、
文章にもまとまりがないし、落とし所もみつからないのだけれど、6年経って初めて文章にしたなあ。

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いつもいつもその時その時を特別に大切にするのは難しいかもしれないけれど、日々をなんとなく過ごしてしまうのはもったいない。
日々の中のふとした幸せ、喜びを噛みしめて。
自分の中に生まれるもやもやも、感じる悲しさ切なさも、目を背けないで。
大切な人との時間をあたたかいものに。

大切な人にはちゃんと自分の気持ちを言おう。
あなたのことが大切だと、ちゃんと伝えよう。

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そして、もうひとつ。
あの日の後、帰国前に、フィリピンの人たちがね、日本の為に祈ってくれたんです。みんなでお祈りを捧げてくれたんです。
あの光景は今でもしっかり覚えてる。
これからもぜったいに覚えていよう。

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